asahappyday’s diary

ふつうの会社員です。まいにち、大事にていねいに。が希望。最近はガーデニングにはまってます。

オリンピックとかコロナとか。

今日は2021/7/26.東京オリンピックがスタートして数日が経過しました。

毎日メダル獲得のいい知らせがある中で、すごく心の中がごちゃまぜになってて、時々、何もかも遮断したくなったりもする。

いまのこの複雑な気分を、自分の心の中の整理のためにも書いてみる。

 

開催できるのか、できないのか。

観客はいれるのか、いれないのか。

等、この数か月、右往左往していたような気がします。

もともと、コロナなんて関係なく、東京でオリンピックが決まった時点ですら、私の気持ちは微妙でした。喜ばしい!とは言えず、でも、来ないでほしい!とまでも思わない。きっと始まったら案外見てしまうんだろうな、とは思う。

オリンピック自体への強い関心が年齢とともに薄れてったような気がします。学生のころは夢中になって、夜中起きてたり、早起きしたりしたような気がする。社会人になり、オリンピックやってても仕事は仕事だし、と、リアルで見れないし無茶もできない、という中で、だんだんとそんな感じになりました。

ただもちろん。開催してるときに感動してぐいっと見入ってしまうことは多々ありました。だからきっと、そうは言っても、始まったら見てしまうに違いない、と思ってた。

 

だけど、昨年状況が一変して、延期になっての今年。

やるべきか、やらないべきか。についてはどちらとも言えなかった。言う権利がないとも思ってました。アスリートの方たちのそこまでの苦労や努力も理解していないのに、やらない方がいい!とは言えない。でも医療関係者や保健所やその他たくさんのコロナによって1年以上働きづめの方たちを思えば、、という気持ちもあった。

ただ観客はいれない方がいい、とは思っていました。その場で感染対策ができても、きっと楽しくて感動して、まっすぐ無言で家に帰るなんて無理だろうと思っていたので。

その程度の私の認識でしたが、東京の感染者がどんどん増えていき、ワクチンが足りなくなり。不安感が蔓延し始めた中での開会式のゴタゴタ。もともとの2020の時のメンバが外されたことも、前からなんで?と思っていたので、不信感がつのる。オリンピックのために、裏で政策が決まっていくのも、不信に思っていた。飲食のことや緊急事態宣言や。これ、みんなが言うこと聞かないのは仕方ないことだ、と。私はリモートワークのほうがはかどるし、インドア派で家が好きだし、飲み会も外食もそんなに好きじゃないし、我慢してることはないから、いいけど、、そんな人は数少ないに違いない…

 

そして。開会式があり、競技が始まり、いいニュースが飛び込んでくる。

涙も笑顔も、やっぱりぐっとくる。オリンピックだからこそのこの気持ちの揺さぶりはすごい。嬉しい、すごい、感動した、と思ってみては、すぐにコロナのことが頭をよぎって、喜んでいいのだろうか、と思ってしまう。喜ぶ資格はあるのだろうか、とも。

私は否定はしなかったものの、開催を望んでは来なかったし、今でもこれでいいのか・・と思ってる。とんでもないことが起きてしまう可能性もあって、ずっとモヤモヤしてる。そんな私が喜んでもいいのか、と。

世の中、声の大きい人はだいたい、正反対のことを大きな声で言う。開会式が「成功」だった、「失敗」だった。オリンピックは「開催すべき」と「開催しないべき」と。そして反対の意見の人を攻撃し、喧嘩になっていくのを見ていて、、、苦しくなります。別々の意見があるのは当然で、多種多様な仕事や育ちや環境で、意見は変わってくるのも当然。そこに別の意見があることは認めた上で、自分の思いを言うだけではダメなんだろうか・・・そんな風に喧嘩になるなら言いたくない気持ちになる。

抗議活動だとか、反対運動とか、そういうのは喧嘩とは違うと思ってます。どちらかというとネット上で顔の見えない反対の意見の人を攻撃する雰囲気が・・・怖い。

毎日、こんな風に複雑なことを考えては、喜んだり苦しくなったり、、、感情の波があります。

今日、明日、明後日と、医療がどうなっていくのか・・・それも不安。

でもがんばっている、ここまでの道のりを乗り越えて輝いているアスリートたちを応援したい、気持ちは当然あるんだ。。