asahappyday’s diary

ふつうの会社員です。まいにち、大事にていねいに。が希望。最近はガーデニングにはまってます。

あれから、父のこと。

書くと決めたのに2か月も開けてしまった。

あの後、いろんなことがありました。9月末に急変し、父がこの世を去りました。あっという間のことで、受け止めるのにも、心が回復するのにも時間がかかってしまいました。今でも大丈夫とは言えない、ふとした瞬間に悲しみや無力さにさいなまれてしまいます。きっと身近な方を失った方たちには、誰しも同じ経験があるのだろうな、みんなすごいな、がんばってきたんだな、、と当たり前のことに、今さら気が付きました。

 

ここのことは気になっていて、書こうと思っては、逆に同じ病気の方、そのご家族の方に悲しみを移してしまうのが嫌だった。私は、決して私の父の話を読んで、同じ病気の人が悲観して欲しくはなくて書きつづけるのか、迷いました。


だけど、私たちにわかっているのは、この病気は、とにかくどうなるのかなんて、全然わからないってことだけ。

何をしたから、どんな症状だから、ということは分かれ道にはなっていない。たまたま、父に当たったボールがALSという病気で、たまたま早い進行だった、というだけなんだと、思っているんです。

だけど。ボールが当たったときに、不安で絶望してしまうときに、何をしたらいいのか、このあと何を決めるのか、ということだけは残しておきたい。いつか同じ病気になったご本人やご家族が迷い込んだときに、少しでも真っ暗でどこを見たらいいかわからない状態から、進めるようになればいいな、と思う。私たちは、その真っ暗からどこへ向かったらいいのかわからない時間が本当につらかったから。

だから、少しづつ、経験したことを書き留めていきたいと思います。

 

私たち家族にとって、一番、悔しかったのは、告知のとき。先生に質問をしました。
リハビリはできますか?と。
そのとき、先生はリハビリは意味がない、とおっしゃいました。この言葉は、言ってほしくない言葉でした。これはあくまで、父の担当だった先生の見解です。でもその時の私たちには先生は、正直すべてのような存在でした。この言葉は、父も目の前で聞いています。これを聞かせてしまったことが悔しい。

後で調べるとリハビリを進めるお医者さんもいるし、実際、後日の入院中に栄養士さんが来てリハビリを提案してくださいました。だからリハビリは意味がないわけではないし、何をリハビリするかによっては体力維持ができると私は思う。

だから、先生は言葉を選んでほしいのです。病気をなおす意味はなくても、体力維持のために、がんばろう、と。その言葉があれば少し、前を向く生活が送れたのに、と思う。

あくまで先生次第のところはあるし、この病気、先生を変えるのは大変なこと。どうしようもなかったけど、先生の言葉がすべてではないです。うちは、その後、訪問診療の先生や看護の方たちの言葉に少し救われていきました。